2009年04月30日
いつか終わる時がくる
ひどく落ち込んでいるときは、
この苦しみがずっとずっと続くように思えるし、
先のまったく見えない、袋小路に入り込んでしまったように感じる。
起こったことは変えられないし、
忘れたくてもすぐには忘れられないかもしれない。
でも、どんなにつらい気持ちも時間とともに薄れていく。
何かを失った痛みも、
誰かをうらんでしまいたくなるほどの怒りや悲しみも、
ひとつそれを受け入れるたびに、
人は一歩前にすすむ。
そしていつか気づく。
永遠に続く苦しみなどないことを。
自分から終わらせようとしなくても、
今の苦しみはいつか終わる時がくる。
だから、失望なんてしなくていい。
その時を信じて、今は待つだけ。
2009年04月28日
ひとりではできない
自分ひとりでは、
深く傷ついたこころは癒せません。
仕事も家事も子育ても親の介護も
自分一人で全てを完璧にやりとげることはできません。
ひとりでできないことを、
ひとりでやろうする私。
ひとりになりたくて、
ひとりが寂しい私。
相変わらず矛盾だらけですね。
2009年04月27日
がんばりすぎてしまうのは
今朝目が覚めたとき、
もうあかんな、と一瞬で分かったんです。
体が全然動かなかったから。
そこから無理に動いてがんばれるときもあるのです。
それで何とかなってしまう日も。
でも今日は、がんばろうという気持ちになれませんでした。
本当は、午前中で仕事を早退して、
午後からホームにいる母親を福岡市の病院に連れて行かなければならなかったのですが
ホームにはさっき、
”今日は体調が悪くて連れて行けません。別の日に変更させてください”
…と電話を入れました。
息子のこともいろいろあって、
仕事の事もいろいろあって
全部は一人では抱えきれません…なんて、
愚痴でも素直に言える相手がいればいいんですけどね。
私の周りは、あまりにも繊細で気むずかしい人ばかりなので、
弱音も愚痴も言えません。
イライラも不安もさとられないように隠すので精一杯です。
昔から、同業者に「ワーカホリック(仕事中毒)」と言われる事が多かったけれど、
自分ではそうだと思ったことはありませんでした。
でも少しがんばりすぎかなと、今は時々思います。
ひとりでふたり分以上働いているかも…って。
がんばりすぎる人は、決して満足することがありません。
一つ目標をクリアしても、
もっとがんばらなきゃ、と思うんです。
ある著名な心理学者によれば、
がんばりすぎるのは他人に認められたい、ほめられたいからだけではない
のだそうです。
そういう人たちは、小さい頃に親を失望させてしまったと感じたり、
あるいは失望させてはいけないと決意した経験があるのだとか。
彼らは他人を失望させないために、
ほとんど強迫的に他人の望む事をして、望む人物になろうとします。
そのために、自分に対してたくさんの「禁止令」を出すのだそうです。
また、失敗を極端に恐れ、自分に厳しい評価を下すのです。
小さな頃にそういうこころの習慣がついてしまうと、
もうとにかく他人が満足するまでがんばるしかなくなります。
そして他人に対しては
がんばった結果もですが、
どれだけがんばっているかを認めてほしいと願うのです。
ところが、他人から良い評価を得ても、
本人の自己評価は相変わらず低いまま。
他人の希望を叶えられたとしても、
達成感も喜びも感じられず、ただむなしさだけが残るのです。
自分の力以上にがんばりすぎるのは、
かつて大切な人を失望させてしまったという罪悪感から、
何らかの埋め合わせをしようとする行為なのだそうです。
がんばりすぎる人は、
密かに自分にも他人にも失望し、
どこかで恨みの気持ちを抱えているのだそうです。
ふと思い出して、
自分にもあてはまるなと思いました。
もうあかんな、と一瞬で分かったんです。
体が全然動かなかったから。
そこから無理に動いてがんばれるときもあるのです。

それで何とかなってしまう日も。
でも今日は、がんばろうという気持ちになれませんでした。
本当は、午前中で仕事を早退して、
午後からホームにいる母親を福岡市の病院に連れて行かなければならなかったのですが
ホームにはさっき、
”今日は体調が悪くて連れて行けません。別の日に変更させてください”
…と電話を入れました。
息子のこともいろいろあって、
仕事の事もいろいろあって
全部は一人では抱えきれません…なんて、
愚痴でも素直に言える相手がいればいいんですけどね。

私の周りは、あまりにも繊細で気むずかしい人ばかりなので、
弱音も愚痴も言えません。
イライラも不安もさとられないように隠すので精一杯です。
昔から、同業者に「ワーカホリック(仕事中毒)」と言われる事が多かったけれど、
自分ではそうだと思ったことはありませんでした。
でも少しがんばりすぎかなと、今は時々思います。
ひとりでふたり分以上働いているかも…って。
がんばりすぎる人は、決して満足することがありません。
一つ目標をクリアしても、
もっとがんばらなきゃ、と思うんです。
ある著名な心理学者によれば、
がんばりすぎるのは他人に認められたい、ほめられたいからだけではない
のだそうです。
そういう人たちは、小さい頃に親を失望させてしまったと感じたり、
あるいは失望させてはいけないと決意した経験があるのだとか。
彼らは他人を失望させないために、
ほとんど強迫的に他人の望む事をして、望む人物になろうとします。
そのために、自分に対してたくさんの「禁止令」を出すのだそうです。
また、失敗を極端に恐れ、自分に厳しい評価を下すのです。
小さな頃にそういうこころの習慣がついてしまうと、
もうとにかく他人が満足するまでがんばるしかなくなります。
そして他人に対しては
がんばった結果もですが、
どれだけがんばっているかを認めてほしいと願うのです。
ところが、他人から良い評価を得ても、
本人の自己評価は相変わらず低いまま。
他人の希望を叶えられたとしても、
達成感も喜びも感じられず、ただむなしさだけが残るのです。
自分の力以上にがんばりすぎるのは、
かつて大切な人を失望させてしまったという罪悪感から、
何らかの埋め合わせをしようとする行為なのだそうです。
がんばりすぎる人は、
密かに自分にも他人にも失望し、
どこかで恨みの気持ちを抱えているのだそうです。
ふと思い出して、
自分にもあてはまるなと思いました。
2009年04月26日
こころが晴れない
いろいろともやもやがたまっていて、
こころがなかなか晴れません。
考えたってどうしようもないのに、と
前向きになろうとしても、何かに引っ張られているようで。
イライラしているのがよく分かるし、
それを他人にぶつけないように我慢するのが精一杯です。

子供の頃から、相手の気持ちを考えなさいと繰り返し注意されて育ってきて、
失敗の度に少しずつでも成長しようと頑張って
こうして人様の悩みに寄り添うような仕事をするようになると
少しは他人の気持ちも理解しようという姿勢も育ってきたけど、
相手の気持ちを考えれば考えるほど、かえって自分が生きづらくなっている気もする。
私は弱いと思う。